存在が溺れる

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2023年買って良かったもの

今年買って良かったものまとめ

2023年も色々と散財してしまった。でも良いものばかりだったので後悔はない。


POLA ディエムクルール コンシーラー

ディエム クルール カラーブレンドパウダーコンシーラー: 商品詳細 | ポーラ公式 エイジングケアと美白・化粧品
前々から気にはなっていたけれど、原宿のアットコスメトーキョーで試したときにクマの消え様にあまりに感動したのでやっと買った。どのコンシーラーを使っても中々消えない濃いクマがこれ塗るだけで消える。面白い色だけどちゃんとコンシーラー。
リキッドコンシーラーを使った上で、私はメイクの仕上げとメイク直しの時に塗ってる。


◆アンドハニーのクレンジングバーム

青泥クレンジング|&honey Cleansing (アンドハニー クレンジング)公式サイト
青いやつを買った。クレンジングバーム自体が好きだけれど、これは今まで使った中で一番使い心地が良いと思った。色も香りもめちゃくちゃ好み。面倒なのでダブル洗顔不要なの助かる。
ただ蓋が回すタイプなのでバームを取った手で閉めるのが面倒。上下にパタパタするタイプならもっと良かった。


◆SHIRO アイスミント ボディローション

アイスミント ボディローション | SHIROオフィシャルサイト
これ酷暑にめちゃくちゃ良かった!寒いくらい冷却される。これを首筋に塗ってドライヤーすると汗かかない。
他の冷却系とは次元が違う。
ミストの方も買ったけどこっちのほうが冷える。


◆IPSAの化粧水

ザ・タイムR アクア 200mL | IPSA 公式サイト
言わずと知れた名品をやっと買った。
化粧水の良し悪しは極端なものでない限りあまり実感することはないけど、これを使い始めてからは肌荒れしにくくなった気がする。
水!って感じのサラサラしたテクスチャが好きなのでとても使いやすい。あとボトルが適度な重さで持ちやすい。
写真で見ると底が丸く見えるけどちゃんと安定してる。


アナスイのヘアブラシ

刻印ヘア ブラッシュ特集 – アナ スイ ジャパン 公式ウェブストア
豚毛なので梳かした瞬間サラサラになる。
絶妙な重さとフィット感で持ちやすい。
見た目もとても可愛くてデパコスの割には意外とお手頃なのでおすすめ。


◆ANKER Soundcore Liberty 4 ワイヤレスイヤホン

Soundcore Liberty 4 | 欲しい機能をすべて搭載した完全ワイヤレスイヤホン – Anker Japan 公式サイト
ノイキャンが神。コスパの鬼。
AirPodsを使ったことがないので比較はできないけれど、着け心地、音質、見た目、値段全て良し。専用アプリでイコライザー調整したり心拍数の計測もできる優れもの。
ノイキャンの精度も3段階あるので完全ノイキャンは困る、という場合にも使える。
ライトブルーを買ったけどこの色がとても可愛い。


佐藤製薬 エスカメル

エスカメル | 製品検索 | 薬と健康を見つめる製薬会社 佐藤製薬株式会社
今まで市販のニキビ薬を使ってきてイマイチ効果を実感できなかったけどこれは恐ろしいほど効いた。
一度塗ると翌日には大体治ってる。ガチで恐ろしいくらい効く。シャ◯でも入ってんのか?と思ってしまうレベル。入ってないと思うけど。
ドラストでは見たことがないのでAmazonで買うのが良いと思う(安いし)。


◆ヴァセリン ロージーリップス

ヴァセリン リップ ロージーリップス | ヴァセリン製品ライナップ | ヴァセリン | Unilever
見たことあるけど盲点だった。
安いのにどのリップよりも潤う。見た目も可愛い。
ジャータイプがメジャーだけど最近スティックタイプも見るようになった。
個人的に今まで使ったリップクリームの中でぶっちぎりの一位。
うっすらピンクに色付くけど血色感程度ですっぴんでも違和感なし。あと良い匂い。


◆SABON フェイスポリッシャー コンフォーティング・ローズ

『フェイスポリッシャー (コンフォーティング・ローズ)』 | SABON (サボン)
ジャータイプとチューブタイプがあって私はチューブの方を買った。
SABONのフェイスポリッシャーは水色のやつを使ったことがあるけど、使い勝手としてはこっちの方が良かった。こっちはスースーしない。
スクラブは小さめでローズの香りは控えめで自然なローズという感じ。人工的なローズの香りが苦手な人でも割と大丈夫そうな香り。
洗った後肌がスベスベになる。
あと中身もジャムみたいな見た目で可愛い。


ピックアップはこれくらいでしょうか……
正直散財しすぎて忘れてる良品もあると思う。
人によって感想は違うけど、機会があったら使ってみてほしい。
もちろんステマではない。


もう2023年が終わるの怖い話すぎるね。

10年かかって躁鬱が発覚した話

タイトル通り。
最初の鬱から10年たった今、双極性障害Ⅱ型と発覚した話。

そもそも躁状態が目立たない限りは双極性障害自体が判断しづらく、はじめは鬱や適応障害と診断された人が数年後に発覚するケースが多いらしい。

初めて鬱になってメンクリに行ったのは16歳の頃。当時の原因は学校だったので、通信制に転校してからは徐々に回復していった。次は大学に入学してすぐ、大鬱期に入って動けなくなり、メンクリにかかった。大学は休学した。そのあとは6〜7年くらい寛解(といっていいのかはわからないが)して、今また鬱期に入ってメンクリにお世話になっているという感じ。

今までハッキリとした診断もされなかったし、適応障害鬱状態とは言われても双極性障害を疑われたことはなかったので、そうきたかと思った。同時に、軽躁状態という意識がなかっただけで過去を思い出すと思い当たる節がありすぎたので妙に納得した。
一瞬にしてハマったバンドのチケットをすぐに全部取ってほぼ全部のライブに行き始めたり、常にポジティブシンキングで嫌なことも寝れば忘れたり、普段は余程のことでないと参加しないような集まりに顔を出すなど妙に社交的になったりしていた。

よく発達障害の方が"発達障害という診断が下りたことで昔からのモヤモヤがスッキリした"という話を聞くが、同じように自分を長く苦しめてきた鬱の波の正体がわかったのでスッキリした感覚がある。

私の場合、覚えている限りでは鬱→回復期のあたりで軽躁というサイクルで波が来る。寛解している時もある。
ただ今はラピッドサイクラーになってるかな、多分。

ちなみに軽躁状態の思い当たる節としては、前記の過去エピソードも含め、
・お金がないのに散財する(物欲が高まる)
・思い立ったらすぐ行動する
・有志の集団行動に参加する
・意欲が湧いてやりたいことだらけになる
・自己肯定感が高まる
・寝たら嫌なことも忘れる
・大盛りを難なく完食できる
これが主かな。

あとは2回目の鬱の回復期に自己判断で服薬と通院をやめてしまった。当時の自分はもう完全に復活して元気✨鬱治った🌟と本気で思っていた。実はこの行動も双極性障害に多いらしい。
今となっては勝手にやめてよく7年もぶり返さなかったなと思う。

躁状態のときはちょっと調子良いな、程度の感覚なので軽躁という自覚がない。
だからいつ軽躁が落ち着いて寛解期に入ったかも実際わからない。だから双極性障害Ⅱ型の診断は誤診されやすくて時間がかかるらしい。

物欲も波が大きいので低賃金労働者はしんどい。
あとは食欲のムラが大きいと昔から母親に言われていた。たしかに思い返すと食べ放題で元を取れるくらい食べられる日と、定食すら完食できない時がある。自分では割と食い溜めができる体質だと少し思っていた。

数年何ともなかったのに今更鬱期なのはやっぱり交替勤務が原因なのかねぇ。鬱になるとすれば前職のブラック勤めでとっくに休職レベルまでいってると思う。

しんどい人生だけど自分の人生救えるのは自分しかいないので何とか頑張る。軽躁入っても通院と服薬はやめるなよ自分!

鬱の人でたまに調子良くなってハイになったり本当に鬱?って思うことがある、という人はもしかしたら鬱じゃなくて双極性障害可能性もあるので主治医に相談してみて欲しい。特に躁が目立たないⅡ型は分かりづらいから。

オタクか無趣味の二極化人生

引越しでも生前整理でもないが、最近は家に眠っているオタクグッズや読み返さないであろう本の山を処分しようと家の中を整理している。
二束三文でも捨てるよりはマシなので宅配買取に出すつもりでいる。

なので各所に保管したり飾っているものをかき集めて梱包しているわけだが、まあ面倒臭い。と同時に、思いの外物量が多く「これ総額でいくらなんだろう…」と思うなどしている。

一応、これでも以前に推しキャラや好きだった作品のグッズをメルカリで売って一部を断捨離してはいる。なのに物の多いこと多いこと。中には買ったことすら忘れていたものも出てきた。
ちなみに祭壇も痛バも作ったことはない。


こんな感じで断捨離を進めていくと、今までの人生における趣味に対する姿勢について思考を巡らせてしまう。

思えば自分の人生、「オタクか、オタク以外か」の二極化になっている。ちなみに今はオタク以外の無趣味期間。虚無。
ちなみにここでの「オタク」とは、ハマっているもの(熱を上げているもの)が明確にあることと定義する。
もちろん昔から変わらず好きなもの(自分の人生や人格形成に大きく影響したアーティストや作品、幼少期から好きだったものなど)については、実家や身体の一部と同じような存在なので、熱中しているか否かに限らずずっと好きだ。


私はオタク期間に入ると、趣味に関して完璧主義になるきらいがある。

例えば、バンギャ全盛期にとあるバンドにハマった時期には首都圏のライブはほぼ全部行っていたし、首都圏以外でも本州は行ける限り行った。首都圏に住んでいて交通費があまり掛からなかったのもあるが、ライブには行ける限り行かないと気が済まなかった。さらに欲が出てくると出来るだけ前の方でライブを見たくなり、少しでも早い整理番号を求めるようになった。バンドの解散でライブ三昧の日々は幕を閉じたが、もし変わらず活動していたり次に組んだバンドにハマっていたとしたら、私は自分のライフステージの変化に合わせて少しずつ頻度を減らしていけたのか、それともずっと同じような生活を続けていたのか。ifルートは永遠に謎。

とあるソシャゲにハマった時期には、まずは情報を片っ端から収集しないと気が済まなかったし、ゲームには毎日ログインしてプレイし、推しイベも全力で走り、欲しいカードがあれば出るまで課金した。何なら時間を経て自然回復するHPを極力無駄にしないように、HPが全回復する頃にプレイして定期的に消費するというルーティンがあった。グッズも欲しいものがあればとりあえず買った(今はそのジャンルから完全に離れてしまったので、実体のないものに数万も課金して馬鹿だったなと思うことはある。けれど当時はそれが楽しくてしょうがなかったので全部無駄だとは思っていない)。

読書がマイブームのときには、小説など活字しかない書籍を1日3冊程度は読み切ることができる。hontoで欲しい本を1〜2万円分くらい(10冊以上)をまとめ買いしたことも何回かある。


他方で、何もハマっていない時期は、本当に何もやる気が起きない。趣味を聞かれても答えられないくらいには無趣味。昔から好きな読書もする気が起きない。音楽も聴くには聴くけれど趣味というほどではない。ライブも大きなイベントしか行かない。時間を潰す手段は主にインターネットなので、毎日なんとなくネットサーフィンをして時間を無駄にする。通販サイトやSNSを見て徐々に欲しいものが出てくるが、物欲にも波があるのでその時の気分や金銭状況によって買ったり買わなかったりする。お金をかけると決めている特定のものがないと、その分余計な出費をしてしまう。ゆえに無趣味だからといって貯金ができるわけではない。


そんな感じで両極端なのである。


幸か不幸か、生まれてこの方金持ちになったことも平均以上に稼いだこともないので、金銭面の限界と生真面目で理性的な性格(自分で言うのも癪だが)によってブレーキがかかり、節度を弁えた範囲内の出費で収まっている。健康で文化的な最低限度の生活は死守している。
これでブレーキがかかってなかったら、最近社会問題として表面化している、無理な推し活やホス狂いで人生が崩壊した人達の二の舞になっていた可能性もある。
自分の性格ナイス。

都会と地方の両方で生活した自分の経験からすると、趣味に関しては生まれ育った土地を離れた経験がある人は特に、住んでいる場所の影響を受けると思う。
先述したバンギャ時代とソシャゲにハマった時代は、どちらも都会に住んでいる時だった。私は地方で生まれ育って、大学進学を機に都会に出た。一人暮らしで不自由な実家からも解放されたので、それまで抑えてきた欲求と都会への憧れが爆発したのだと思う。

今は地方に戻ってしまったのでフットワークも重くなってしまったが、都会に住んでいれば、開催地が近く又は簡単に行ける場所になるので、"少し出掛けるだけ"の感覚でイベントに行けてしまう。ゆえに必然とフットワークが軽くなる。手が届く限り手を伸ばしてしまうので、面倒だと思うくらいなら行かなければいいものを、面倒と思いながら行ってしまう。ライブに通い続けているとそういう現象を経験する人はまあまあいると思う。

地方に住んでいると、開催地までの交通費だけでも下手をすればチケット代以上の金が掛かるのでフットワークが重くなる。一般的な収入で節度を弁えた上で楽しむとしたら、イベントに全部行くのは難しいし、グッズを買うにしても、都会ほど店も店頭の品物も揃っていないので相対的に得られる情報が少ない。都会の会社員は、会社帰りにライブに行くことが物理的に可能だ(実際、ライブ会場にいつもいた人達はそうしていた)。
買い物に関しても、今の時代は通販があるので情弱になるほどではない。けれど、自分の場合は通販で欲しいと思ったものでも、店頭で実際の商品を見て「やっぱり買うのやめよう」と思うことがある。"画像だと魅力を感じなかったけれど実物を見たら欲しくなって買ってしまった"というエピソードをよく聞くけれど、実物を見ることによって抑えられる出費もあることを頭の片隅に入れておくと良い。


知ったら欲しくなるものは最初から知らなければ欲しいものにすらならない。だから余計な出費をしなくて済む。
でも知らないことは勿体無いし人生が良い方向に変わる機会を逃すことにもなりかねない。
どっちの方がその人によって良いんだろうね?やる後悔とやらない後悔というジレンマは趣味においても大きいなあ…


また何かにハマる時が来るのかもしれないけれど、完璧主義な楽しみ方はもういいかな。不要と判断したものは早めに手放して、最終的に残る一部のものを大事にしていきたい人生ですな。

夢は憂鬱 忘れたいと願う度に思い出す

夢を見ることが多い。

その夢は良いものも悪いものも、はたまた普通すぎて記憶にすら残らないものまで多種多様である。

夢に出てくる人は全く知らない人、いわば自分の夢だけの"オリキャラ"が多い。オリキャラといっても二次元的な姿ではなく、そこら辺によくいそうな、何の変哲もない現実の人間の姿だ。
実在する人達も出てくるけれど、圧倒的にこっちのほうが出現率が高い。
なんか知らん幼馴染とか親友とか彼氏とかいた。

今日も今日とて筋の通っていない謎の人生の一角を夢の中で過ごして目を覚ました。

夢の中で何かしらの約束をしていて、その約束を果たせないまま目を覚ましてしまった。でも今はその約束が何かを思い出せない。よくある話だが。

約束を果たせないまま目覚めてしまったとき、時々『一生戻れない夢の中に置き去りにしてしまったな』という感覚を抱くことがある。
夢は見ても以前の夢の続きを見ることはない。
小説の主人公の人生がその小説の中にあるように、夢に出てくる人たちもその夢の中で人生を過ごしていると考えると、自分がタイムトラベラーの気分になる。小説や二次元を嗜んでもこういった気分にはならないのだけれども。

実在/非実在に限らず、夢で会った彼らは所詮その夢の中で生きているに過ぎない。現実に存在する人であっても、夢の中であったことは現実で起こっていない(起こったとしても別件だ)し、彼らの人格も人生も、自分の深層心理が勝手に作り上げて夢という形で昇華させたに過ぎない。

パラレルワールドで夢の中の世界が本当に存在するならば、約束をした子は約束が無下にされてしまったと怒ったりショックを受けるかもしれないし、決して再会することのない人間を待ち続けるかもしれない。
そもそも彼らは"私の夢の中の人間として生きている"ことを知らないまま生きている。
今いるこの世も実はそうなのかもしれない。

夢の世界に限らず二次元や小説、天国・地獄もそうだけど、現実の人間が生み出す世界というのは、現実の人間が作り上げている時点で「存在しない世界」ではないと思う。その世界の存在を知っている人が一人でも現実にいる時点で、「存在しない」はありえない。たまに疑問に思うんだけど、二次元は架空認識なのにあの世(天国)は架空でないことにされているのは何故?神様が〜とかブッダが〜とか言うけれど、歴史と同じで本当かどうかなんて誰にも証明できないじゃん。
現実に「架空の世界」として存在する世界。なんとも哲学的。

そんなこんなで、夢で会った知らない人とまた夢の中で再会できたらいいなと密かに思っている。
再会できたとき、私自身も相手も過去に会ったことを覚えているのだろうか?夢のことだから、再会したとしてもどうせ初対面か以前見た夢とは違う成り行きでの再会になることだろう。

そういえばこれを書いていて、刀剣乱舞の「放棄された世界」を思い出した。まるで同じだな。

あと基本的に占いは信じないたちだけど、夢占いを調べると少し当たることがある。バーナム効果っていうやつか。

希死念慮と死恐怖症は実質同じという話

少し前に数年来のフォロワーとタイトル通りの会話をして、なんか良いなと思ったのでここに書いてみる。

私はできるだけ早く死にたいという気持ちがあって、フォロワーは死恐怖症だった。
デスメタルが好きなのに。

死恐怖症という話題のトピックをTwitterかどこかで見て、「死恐怖症の人と分かり合えない」とツイートしたら「死ぬのが怖い」と返信したフォロワー。純粋に何故なのか気になったので聞いてみた。


私「苦しみながら死ぬのが怖い?死んだ後が怖い?」
フォロワー『両方だけど、どちらかといえば後者。自分の意識がどこでどうなるのか分からないのが怖い。』

私「無になることへの恐怖か…」
フォロワー『苦しむのは多分死ぬ時になったら覚悟できるかもしれないけど、その後のことは誰にも全く分からない。生まれる前は意識がなくて、そのずっと前も時間は常に動いていて、死んだ後も時間は動き続ける。意識はいつどこで芽生えていつどこで無くなるのか分からないのも怖い。』

単純な話だけど深い〜!とても哲学を感じる。

本質としては双方共に、時間だけが変わらずに過ぎていくことへの恐怖だと思った。時間が過ぎることへの恐怖から無になりたいと思うか、無になることを怖がるか、それだけの違い。
終わりがないことが一番怖い。

私の死にたい気持ちも、元を辿れば「時間が過ぎることで衰えていくこと」への嫌悪感から生まれていると思う。老齢になったこともないのに。実際若い頃と変わらず楽しんでいる幸せそうなご老人も沢山いるのに。

文字にしてみて、自分が思っている以上に自分は若さ至上主義だなと実感して若干引いている。若さを最大限に活かしたことなんて何もないのに。同世代がワイワイ楽しんでいる頃に鬱病だったのに。
平均80年強の人生において貴重な若い時間を虚無で過ごしている、そんな今が一番無駄じゃん、と思ってまた死にたくなる。

今月で3年目を迎えた私のiPhoneは、フル充電で新品時の82%になってしまった。私が想像している"老い"はまさにこれと一緒だなと思考のパターンを当てはめてしまう。

そんな人生。


フォロワー、会話を勝手に記事にしてごめんな!
いい話が聞けたよ。