存在が溺れる

インターネットの粉塵 書いたり消したり

オタクか無趣味の二極化人生

引越しでも生前整理でもないが、最近は家に眠っているオタクグッズや読み返さないであろう本の山を処分しようと家の中を整理している。
二束三文でも捨てるよりはマシなので宅配買取に出すつもりでいる。

なので各所に保管したり飾っているものをかき集めて梱包しているわけだが、まあ面倒臭い。と同時に、思いの外物量が多く「これ総額でいくらなんだろう…」と思うなどしている。

一応、これでも以前に推しキャラや好きだった作品のグッズをメルカリで売って一部を断捨離してはいる。なのに物の多いこと多いこと。中には買ったことすら忘れていたものも出てきた。
ちなみに祭壇も痛バも作ったことはない。


こんな感じで断捨離を進めていくと、今までの人生における趣味に対する姿勢について思考を巡らせてしまう。

思えば自分の人生、「オタクか、オタク以外か」の二極化になっている。ちなみに今はオタク以外の無趣味期間。虚無。
ちなみにここでの「オタク」とは、ハマっているもの(熱を上げているもの)が明確にあることと定義する。
もちろん昔から変わらず好きなもの(自分の人生や人格形成に大きく影響したアーティストや作品、幼少期から好きだったものなど)については、実家や身体の一部と同じような存在なので、熱中しているか否かに限らずずっと好きだ。


私はオタク期間に入ると、趣味に関して完璧主義になるきらいがある。

例えば、バンギャ全盛期にとあるバンドにハマった時期には首都圏のライブはほぼ全部行っていたし、首都圏以外でも本州は行ける限り行った。首都圏に住んでいて交通費があまり掛からなかったのもあるが、ライブには行ける限り行かないと気が済まなかった。さらに欲が出てくると出来るだけ前の方でライブを見たくなり、少しでも早い整理番号を求めるようになった。バンドの解散でライブ三昧の日々は幕を閉じたが、もし変わらず活動していたり次に組んだバンドにハマっていたとしたら、私は自分のライフステージの変化に合わせて少しずつ頻度を減らしていけたのか、それともずっと同じような生活を続けていたのか。ifルートは永遠に謎。

とあるソシャゲにハマった時期には、まずは情報を片っ端から収集しないと気が済まなかったし、ゲームには毎日ログインしてプレイし、推しイベも全力で走り、欲しいカードがあれば出るまで課金した。何なら時間を経て自然回復するHPを極力無駄にしないように、HPが全回復する頃にプレイして定期的に消費するというルーティンがあった。グッズも欲しいものがあればとりあえず買った(今はそのジャンルから完全に離れてしまったので、実体のないものに数万も課金して馬鹿だったなと思うことはある。けれど当時はそれが楽しくてしょうがなかったので全部無駄だとは思っていない)。

読書がマイブームのときには、小説など活字しかない書籍を1日3冊程度は読み切ることができる。hontoで欲しい本を1〜2万円分くらい(10冊以上)をまとめ買いしたことも何回かある。


他方で、何もハマっていない時期は、本当に何もやる気が起きない。趣味を聞かれても答えられないくらいには無趣味。昔から好きな読書もする気が起きない。音楽も聴くには聴くけれど趣味というほどではない。ライブも大きなイベントしか行かない。時間を潰す手段は主にインターネットなので、毎日なんとなくネットサーフィンをして時間を無駄にする。通販サイトやSNSを見て徐々に欲しいものが出てくるが、物欲にも波があるのでその時の気分や金銭状況によって買ったり買わなかったりする。お金をかけると決めている特定のものがないと、その分余計な出費をしてしまう。ゆえに無趣味だからといって貯金ができるわけではない。


そんな感じで両極端なのである。


幸か不幸か、生まれてこの方金持ちになったことも平均以上に稼いだこともないので、金銭面の限界と生真面目で理性的な性格(自分で言うのも癪だが)によってブレーキがかかり、節度を弁えた範囲内の出費で収まっている。健康で文化的な最低限度の生活は死守している。
これでブレーキがかかってなかったら、最近社会問題として表面化している、無理な推し活やホス狂いで人生が崩壊した人達の二の舞になっていた可能性もある。
自分の性格ナイス。

都会と地方の両方で生活した自分の経験からすると、趣味に関しては生まれ育った土地を離れた経験がある人は特に、住んでいる場所の影響を受けると思う。
先述したバンギャ時代とソシャゲにハマった時代は、どちらも都会に住んでいる時だった。私は地方で生まれ育って、大学進学を機に都会に出た。一人暮らしで不自由な実家からも解放されたので、それまで抑えてきた欲求と都会への憧れが爆発したのだと思う。

今は地方に戻ってしまったのでフットワークも重くなってしまったが、都会に住んでいれば、開催地が近く又は簡単に行ける場所になるので、"少し出掛けるだけ"の感覚でイベントに行けてしまう。ゆえに必然とフットワークが軽くなる。手が届く限り手を伸ばしてしまうので、面倒だと思うくらいなら行かなければいいものを、面倒と思いながら行ってしまう。ライブに通い続けているとそういう現象を経験する人はまあまあいると思う。

地方に住んでいると、開催地までの交通費だけでも下手をすればチケット代以上の金が掛かるのでフットワークが重くなる。一般的な収入で節度を弁えた上で楽しむとしたら、イベントに全部行くのは難しいし、グッズを買うにしても、都会ほど店も店頭の品物も揃っていないので相対的に得られる情報が少ない。都会の会社員は、会社帰りにライブに行くことが物理的に可能だ(実際、ライブ会場にいつもいた人達はそうしていた)。
買い物に関しても、今の時代は通販があるので情弱になるほどではない。けれど、自分の場合は通販で欲しいと思ったものでも、店頭で実際の商品を見て「やっぱり買うのやめよう」と思うことがある。"画像だと魅力を感じなかったけれど実物を見たら欲しくなって買ってしまった"というエピソードをよく聞くけれど、実物を見ることによって抑えられる出費もあることを頭の片隅に入れておくと良い。


知ったら欲しくなるものは最初から知らなければ欲しいものにすらならない。だから余計な出費をしなくて済む。
でも知らないことは勿体無いし人生が良い方向に変わる機会を逃すことにもなりかねない。
どっちの方がその人によって良いんだろうね?やる後悔とやらない後悔というジレンマは趣味においても大きいなあ…


また何かにハマる時が来るのかもしれないけれど、完璧主義な楽しみ方はもういいかな。不要と判断したものは早めに手放して、最終的に残る一部のものを大事にしていきたい人生ですな。